不登校 親の会で話していて、僕は自分のことをブラックジャックだと思った。

黒いマント姿につぎはぎの顔。
どんな病気でも治す天才無免許医師。
ブラックジャック。

僕は、“不登校・引きこもり 親の会”で講演会が終わり帰宅するときに、彼のことが頭に浮かんだ。

「田中さん、不登校のときの経験を話してください」というオファーをいだたき、1時間ほどお話。

今まで、自尊感情や子どもとの関わり、D.Liveの立ち上げの話などが講演のメインで、自分の不登校時代の経験を話すことはなかった。

改めて当時の自分と向き合い、「なぜ不登校になったのか?」を掘り下げていった。
すると、以外な事実が見えてきた。
忘れていたこと、ショッキングだったことも思い出した。

僕は、講演のときに、徹底的に自分を客観的に見ながら話をした。
ほとんど潜在意識の話。
当時の僕が気が付いていなかったことを、今の僕が分析して話す。

自尊感情や論理療法などの知識も入れながら。

「どうして、自分がしんどかったのか」
「どうして、立ち直ることができたのか」

わかりやすく、まるでプロ野球中継の場面を解説者が説明するかのように。
講演が終わったあと。
参加者のかたが声をかけてくれた。
「とても、わかりやすかったです。不登校の子がどんな気持ちがわかりました〜」

嬉しいと同時に僕は疑問に思った。

「なぜだ?」と。

世の中には、不登校に関係するプロがたくさんいる。
子ども支援をしている人。
不登校支援をしているカウンセラーや臨床心理士さん。
子どもの心について研究している大学教授。

その人たちのほうが勉強になる話をするのではないだろうか?
参考になる話をしてくれるのではないだろうか?

でも、今、僕の前に立っている女性はすごく感激した目でこちらを見ている。
「いやぁ、ほんとに良かったです!」と、言ってくれている。

「なぜだ?」

正直、おもしろい話しをしたという実感はない。
(シリアスな話なので当然だけど)

ただ、ただ淡々と自分の話をしただけだ。
しかし、彼女にはとっても良かったみたいだ。

講演が終わってからの座談会でも、他の人が言ってくれる。
「今日、ほんと来て良かったです」と。

「なぜだ?」

 

どうして、彼女たちはここまで絶賛してくれるのだろう。。。。
他の教授や先生たちのほうが良い話だと思うのに。。。
帰るとき、頭を整理できた僕は1つの答えを見つけた。

「ああ、ブラックジャックなのか。。。」

ブラックジャックは、唯一無二の医者。
技術がすごいのは当然。
驚くべき点は、彼は自分自身をも手術するのだ。
緊急のオペが必要なとき、外で防菌テントを広げて、自らを手術する。

僕は、それだった。
自分で自分を手術するブラックジャックだった。

だから、保護者の人たちは僕の講演を聞いたときに「良かったです!」と絶賛してくれたのだ。

腕のいい医者はたくさんいる。
優秀な看護師もたくさんいる。

しかし、自分で自分を手術できる医者はいない。

不登校の経験を話せる人はいる。
不登校支援をしていて、不登校の子について話せる人もいる。
子どもの心理や自尊感情について専門的な知識を持っている人もいる。

でも、全てをあわせもっている人はほとんどいない。

不登校の気持ちを理論を交えながら話せる人は、いないんだ。

自分で自分を徹底的に解剖できる人はいない。
不登校支援をしている人の話も結局のところは他人の話。
もちろん参考になるし、本人の気持ちも代弁してくれているから勉強になる。
しかし、やっぱり当事者の声とは違う。フィルターがかかっている。

僕は、不登校の経験者だ。
そして、不登校の子を支援する人だ。
「子どもの自信白書」を発行し、自尊感情について研究している立場でもある。

だからこそ、自分の気持ちはどうしておきたのか、なぜ学校へ行けなかったのかを理論と気持ちの両方の部分から伝えることができる。

“わかりやすい”のは、当たり前だった。
実践で使いにくい机上の空論のような理論でもない。
実際に経験した当事者の声だからリアルだ。
そして、それを自分自身で分析して、理論を元にして説明(解説)をするのだから、そりゃあわかりやすい。

「もっと良い人がいるだろ?」と思っていた僕の考えは間違いだった。
他にいないのだ。
実際に経験して、それを理論として説明してくれる人が。

 

そう思ったとき、僕は少し危機感をおぼえた。
使命感に似た思いを抱いた。

「ああ、もっと話していかないとダメだな。。。」と。

正直、楽しいことじゃない。
自分自身にメスを入れる行為だ。

グサッグサッと突き刺さる。

当時のことも思い返すし、後悔なんかも溢れてくる。
僕はまだまだできた人間なんかじゃないから、やっぱり「もっとこうしておけば良かった。。」と思ってしまう。

依頼をいただいたときに思ったのは、「ああ、しんどいな。。。」だった。

 

でも、今日の講演をして思った。

他にいないのであれば、僕がやらないといけない。

不登校の保護者の人たちは、本当に苦しんでいる。
今日じっくり話を伺い、深く深く思った。
保護者がどれだけ苦しんでいるか、と。

何年も家から出てこない我が子。
いったいどれだけの苦しみなのかは想像に難くない。

周りの人たちはまだまだ理解がないから、「あそこの子、学校行っていないらしいよ」と陰口をたたかれる。
親戚からは、「お前がしっかりしてないからアカンねん」と、どやされる。

自分を責めてしまうこともある。
子どもに当たってしまうこともある。

「どうして、うちの子が。。。。」

苦しくなることも一度や二度ではないはずだ。

不登校は、子どもだけの問題じゃない。
家族の問題だ。
保護者はもちろん、兄弟にも問題はふりかかる。

苦しんでいる人たちがたくさんいる。

ならば、その人たちが少しはラクになるような。
参考にして、なにか光が見える手助けをしていかないといけない。

えらい先生でも臨床心理士さんでもなかった。

不登校を経験した、不登校の子と関わっている僕にしかできないこと。

自分自身を解剖した結果を伝える。分析した結果を共有する。

日本にほとんどいないだろう存在なんだろう。きっと。

だからこそ、僕はこれから「自尊感情で考える僕が不登校になった原因 」という講演をしなくちゃならないなと、奈良から帰ってきて強く思っている。

今でも、できたらやりたくないなと思う。
怖い。しんどい。キツい。

でも、それが不登校で苦しんでいる人たちの役に立つのであれば、僕は喜んでこのカラダを差しだそう。
僕なんかの比じゃないくらいの苦しみを感じている人を見ていれば、「自分がしんどいのでイヤです」とは決して言えない。

 

僕は、いつでも、不登校経験の話をします。

お問い合わせは下記から。

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この記事を書いた人

1984年 大阪生まれ 立命館大学文学部卒

中学時代は、部活に打ち込み、勉強では学年で常にトップ10以内。
しかし、中学3年生のときから学校がしんどくなり、誰とも話さなくなる。
野球選手を目指し、大阪の野球強豪校へ行ったものの、自信を失い退部。そこから学校へ行かず、河川敷で過ごす毎日をおくる。
浪人して立命館大学へ入学したものの、なにをしたいかが分からなくなり、行く意味を失う。1回生の夏から1年ほど、京都の下宿で引きこもる。
友人の支えもあり、復活。政治家の秘書やテレビ制作などのインターンをおこない、期間限定のカフェも開く。「自分のようにつらい思いをさせたくない」と思い、D.Liveを立ち上げる。
フリースクールや自信を取り戻す教室を運営。不登校に関する講演や講座もおこなっている。
京都新聞にして子育てコラムを連載中。
詳しいプロフィールはコチラから

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